【コロナ対策緩和】ライブハウスに自由が戻り始めた日の記録

現在2023年2月。コロナ対策として2020年から続いていたライブハウスでの様々な制限が緩和され始めた。この時代をライブハウスで過ごした、ただのロックバンド好きのひとりとして、記録を残しておく。

もくじ

1.コロナ禍初期
2.コロナ禍過渡期
3.コロナ禍明けへの準備
4.自由が戻った日

1.コロナ禍初期

2020年3月頃、コロナが流行し始めてから数ヶ月間は、不要不急の外出ができなくなり、誰もライブハウスに行けなくなった。それまで身近な存在だったライブハウスが、音楽ファンにとって遠い場所になった。

その間、バンドマンたちがSNSでバトンを繋ぎ、弾き語り動画をアップする「#うたつなぎ」というハッシュタグが流行ったり、自分たちの過去のライブ音源をネット上に公開してくれるバンドがいたり、気持ちが沈まないように、各々ができることをやろうとしてくれる優しさがあった。星野源の「うちで踊ろう」企画も懐かしい。

そうこうしているうちに、配信ライブという手段が主流になり始めた。画面越しでも大好きなバンドの演奏を見られることが心底嬉しかったが、今思えば、それにすがるしかない状況だった。本当は生音が聴きたくて仕方がなかった。

ライブを実施できなくなったことで、ライブハウスの経営は窮地に立たされたようだった。グッズを販売したり、ドリンクチケットを前売りしたりして耐えていたライブハウスが多かったように思う。使うタイミングをなんとなく逃し続けている筆者の手元には、当時購入したドリンクチケットがそのまま残っている。

その後、人数制限を設けた上でのライブができるようになり、少人数のお客さんを入れた上での配信ライブという形も浸透し始めた。着席で落ち着いて見られるからなのか、弾き語りライブも多かったように思う。

このときのライブハウスの様子は、以下の記事に残しているので、良かったら読んでほしい。当時の筆者の心境がリアルに綴られている。

参考記事
【参考】定員25名のライブハウスに行ってみた話【コロナ対策】 | 遠征ノート (enseinote.com)

このときから数年間は、ライブに「人数制限・マスク着用・発声禁止・立ち位置指定」という制限が課せられることとなった。数ヶ月で終わるものだと思っていたが、結局数年間も続いてしまった。初めてコロナ禍で夏フェスを迎えたときは、この酷暑の中でマスクってまじかよ…と思ったが、今はもう当たり前だ。普通に、まじだった。

□2.コロナ禍過渡期

コロナが流行して2年が経った2022年は、一部のライブでモッシュやダイブが起こるようになった。コロナの流行は終わっておらず、依然として病床が逼迫しているというニュースが流れている状況だった。大々的な解禁というよりかは、痺れを切らしたロックファンたちが勝手にやり始めたという印象だった。

これにより、痺れを切らしたファンと、まだルールを守るべきだと主張するファンが対立する構図が発生した。「これからはコロナと共存していく社会だ。」という主張も分かるし、「できる感染対策はするべきだ。」という主張も分かる。同じ音楽を好きなもの同士がいがみ合わなくてはならない状況が心苦しかった。現場によってはこの対立は今も続いている。

筆者はまだルールを守るべきだと考えていた。命や生活の大切さを歌っているバンドが、このコロナが明けきっていない状況でモッシュやダイブを許してしまったら、歌っていることが嘘臭くうつってしまいそうで、それがとてつもなく恐ろしかった。好きなバンドを好きなままでいたかった。

筆者の気持ちが切り替わったのは、2022年12月末のとあるライブ。好きなバンドのボーカルが、トリのバンドのライブで、観客としてダイブしていた。そのダイブは、演奏中のバンドへの愛以外の何物でもなく、とても美しいものに見えた。(まだコロナは存在するのに、良いのか?)という思いは正直あったが、美しいと思った自分の気持ちを否定したくなかった。

ここで気持ちを切り替えられなければ、モッシュやダイブをする観客のことも、演奏中にダイブをするバンドマンのことも、嫌いになってしまいかねないと思った。でも、気持ちを切り替えられたならば、ライブハウスの愛しい文化が戻ってきたことを素直に喜べる。消去法だった。

本当は、コロナが壊滅して、晴れて何もかもを解禁して、みんなで大喜びしたかった。だが、コロナはすぐに壊滅してくれるものではなく、共存するものとして残ってしまった。消去法だったが、好きなものを好きなままでいるために、この日をもって筆者は気持ちを切り替えた。この判断基準がまともかと問われれば、胸を張ってまともだとは答えられない。

□3.コロナ禍明けへの準備

2023年に行くライブは、モッシュやダイブがいつ起こってもおかしくないという気持ちで臨むことにした。服はぐちゃぐちゃになっても良いように、バンドのTシャツやパーカーを着て、靴はスニーカー。カバンは小さなサコッシュで、人にもみくちゃにされても中身が出ないように、きっちりとチャックの閉まるもの。引っかかるようなイヤリングは外す。長い髪は周りの人の邪魔にならないようにまとめるべきだが、筆者は髪をくくるのが苦手なので、基本的にショートヘア。

気持ちを切り替えたら、いろんなことが懐かしく思い出された。ここ数年間はテンションがあがるという理由でバンドのTシャツを着ていたが、コロナ禍前は、どちらかというと汚れてもいいようにバンドのTシャツを着ていたなとか。モッシュのあるライブに何回も行くと、Tシャツって毛玉だらけになるんだよなとか。前で見られるように、入場後はすぐにフロアに行きたいから、ライブハウスの中のロッカーではなくて、いつも駅のコインロッカーに荷物を入れて、冬でもTシャツ一枚で走って会場に向かっていたなとか。こういう一つ一つの思い出が、宝物だった。

ちなみに、コロナ禍からライブハウスに通い始めた人は、モッシュやダイブを経験していないことを後ろめたく思う必要はない。コロナ前から通っていた人だって、通い始めたときは無知だった。そこは同じだ。「なんだこの世界は?!」と驚きながらも、「これがライブハウスか…!」と徐々に混じっていく、そんなかんじだ。最低限のマナーはサラッと上記に書いた通りなので、そこさえ押さえておけば、とりあえずは大丈夫だと思う。

野蛮な文化ではあるが、衝動と愛の賜物なので、愛せそうだったら愛してほしいなと思う。モッシュやダイブがあるから前で見れない、音楽に浸りたいのにダイブが邪魔だ、いろんな意見がある。それも分かる。ただ、キラキラした目で飛ぶダイバーを、怖い顔をして叩き落とすのではなく、「あら楽しそうね。本当にこの音楽が好きでたまらないのね。」と微笑みながら眺められるくらいの余裕がある人たちの集まっているフロアが筆者は好きだ。この文化を知ろうしてみてほしい。愛そうとしてみてほしい。

そして、ダイブをするならば、音楽だけでなく、フロアも愛してほしい。好きな音楽家ならまだしも、知らない人の下敷きになりたい人なんていない。人の上に無許可で飛び乗るなんて、日常では絶対に許されない。そんなイカれた行為を笑って許そうとしてくれるフロアに感謝してほしい。あなたを下で支えているのは人なのだということを忘れるべきではない。

□4.自由が戻った日

2023年2月下旬、大好きなバンドのライブに行った。2列目にいたが、前にいたのが偶然にも対バン目当てで来ていた友人で、最前列を譲ってくれた。この日、筆者にとって忘れられない出来事が起こる。

ステージとフロアの距離が近い、小さなライブハウスだったから、ボーカルは柵からはみ出るくらい身を乗り出して歌っていた。そしてライブ中、最前列で拳をあげていたら、なんとボーカルがグッと拳を掴んでくれたのだ。そのままマイクを筆者の手に掴ませ、筆者は一瞬マイクスタインドになった。自分の手があって、その手が掴んでいるマイクの先で、大好きなバンドの大好きなボーカルが歌っていた。

音楽に乗っていると身体が揺れてしまうが、マイクも揺れるので、今はじっとするべきなのかもしれないと咄嗟に思ったり、ボーカルの歯がマイクにコツンと当たって、そのときの振動が手に伝わったりしたことだけ覚えている。離していいよというタイミングで手を掴まれたりしたんだろうなと思うけど、そのときの感触とかは全く覚えていない。どの曲のときにそうなったかも全く覚えていない。ただ、必死だった。

夢の中にいるみたいで、帰路の電車は終始ぼーっと揺られていた。筆者の何が変わったわけでもないが、妙な自信が湧き上がってくる感覚があった。今だったら何でもできるんじゃないか?尊敬してやまないロックンローラーのマイクを握ったこの手で、できないことなんてあるのか?とか、そんなことばかり考えていた。あと、この手のこと、大事にしなきゃな、とも思った。この手はもう、宝物になってしまったから。

ロックバンドは、ロックンローラーは、ライブのほんの一瞬で、その人が今後生きていく上での糧となるような体験を与えられる。拳を掴むとか、マイクを持たせるとかっていうのは、コロナ対策が厳しかった時期には出来なかったことだ。自由が戻って、筆者のような体験をする人がこれからどんどん出てくるんだと思ったら、たまらなく嬉しくなった。

これから、グータッチを交わす、拳を掴まれる、マイクを持つ、マイクを向けられて歌う、ダイブしてきた演者を支える、いろんな接触が起こるだろう。ただの、一瞬の、接触だとしても、それは無意味ではない。人生すら変えうる。ライブってすごいのだ。ロックバンドって、ロックンローラーって、すごいのだ。

そして、すごいのはロックンローラーだけではない。観客もまた力を持っている。激しいモッシュは苦しかったが、寂しくはなかった。同じ音楽を好きな人たちがこんなにたくさんいて、知らない人同士なのに何故かゼロ距離で、音楽に揺られている。その事実に、コロナ禍前の筆者がどれほど救われたことか。ひとりだが、ひとりではないと思えた。当時の筆者を支えていたのは、音楽と、ライブハウスでの体験だった。

自由が思いやりを伴って戻ってきたのであれば、筆者はそれを喜びたい。自由を履き違えた、自分勝手な人ばかりで溢れてしまったら、混乱と悲鳴が上がるフロアになるだろうが、思いやりを伴った、愛のある自由が戻ってきたのならば、現場はこれからどんどん楽しくなるだろう。これでいいのかと思う気持ちもまだあるが、それでも、どうしようもなく、心がワクワクしている。

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