【ボイガル日記】幌平橋とプリンと夢の話

THE BOYS&GIRLS(通称ボイガル)のライブを見に北海道へ遠征した、とある夜の日記。友人と過ごした時間と、幌平橋からの景色と、『ブリッジ』という曲の話。

2023年8月19日、北海道の恵庭で開催されたOR DOOR。ボイガルがトリを飾るフェスとあって、筆者は東京から駆け付けた。そして、筆者と同じような場所から遠征してきていたボイガルファンがもう1人。ライブで出会ってから話すようになった友人だが、まだ会うのは3回目くらい。

OR DOORを共に楽しみ、翌日の後夜祭にも一緒に行った。ライブハウスを出た後、帰りたくないね~なんて言って、札幌の夜の街をあてもなく歩いた。遠征すると、家から近い場所のライブに参加するのとは全く異なる、大きな寂しさが必ず付き纏う。遠征先で過ごした時間が非日常であればあるほど、戻っていかなければならない日常を思い出して憂鬱になったりするものだ。

筆者は翌々日に帰る予定だったが、友人は翌日の飛行機をとっていた。つまり、この夜の解散は友人にとって遠征の終わりを意味する。友人の表情に陰りが見えたから、筆者はとある提案をした。

「ねえ、幌平橋に行こうよ!ボイガルのブリッジって曲のモデルになっている橋があるんだよ」

そう伝えると、友人の表情が少し明るくなった。終電もない時間だったが、札幌の街中から幌平橋へは、歩いて30分ほどで着く。帰りたくない夜に歩くには、ちょうど良い距離に思えた。筆者は何度か幌平橋に行ったことがあるが、友人は初めて行くようで、楽しみだと笑ってくれた。
写真を撮り忘れたのでイメージ画像を…(笑)
友人と話しながら歩く30分はあっという間で、気がつけば幌平橋に着き、目の前にはアーチが佇んでいた。「あれか!!」と興奮気味の友人。早速、ブリッジという曲を流しながら、階段を登った。そして、アーチの頂点に辿り着くと、2人で手すりにもたれながら、豊平川を眺めた。

「夜の豊平川って迫力あるね」と友人が呟いた。筆者も、豊平川は広くて、猛々しい印象を持っていたから、この言葉にはかなり共感した。

ブリッジの歌詞を最初から辿るように聴くと、「何度も階段を登った 右ポケットには真実を 左ポケットには嘘を」という歌詞の次に、「たとえばバンドのこととか たとえば君のこととかも わかったふりをキメ込んで 川の流れをただじっと見ていた」という歌詞が続く。

階段を登る描写の後に、川の流れをただじっと見る描写が続くということは、シンゴさんはおそらく階段を登り、アーチの頂上で川を眺めて、この歌詞を書いたのではないかと思うのだ。それを友人に伝えた。

「シンゴさんも悩んだ時や帰りたくない時は、こうやって川を眺めてるんじゃないかな。」
アーチの頂上の手すりにもたれながら、改めて歌詞を意識して、2人でブリッジを聴いた。

「たとえばバンドのこととか たとえば君のこととかも わかったふりをキメ込んで川の流れをただじっと見ていた」「そんなこともあったんだ そんな夜もあったんだ」「ほろほろ涙がこぼれたとき 日も暮れた」

「すごい…」と友人が呟いた。こんな音楽の聴き方は初めてしたと言い、「これは聴こえ方が変わるね」と笑った。そう、そうなのだ。手間のかかる聴き方なので、あまり気づいている人は多くないかもしれないが、これがボイガルの音楽の真骨頂だと筆者は思う。

ボイガルの音楽は、場所、時間、感情を音楽と重ねて聴いたとき、ものすごい威力を発揮するようなところがある。実体験によって書かれた歌詞が多いこと、ワタナベシンゴの感性が素朴かつ繊細であること、外の空気を楽曲に落とし込むのがとてつもなく上手いこと、などが要因となっていると思う。こんな音楽、他にない。驚くほど心のすぐ傍にきてくれる。

豊平川の風に吹かれながら、(東京に帰ってからブリッジを聴いたら、この日の景色とか感情とか空気とか風とか、きっと全部思い出せるようになっているんだろうな)とぼんやりと思った。そして戻りたいなんて思って、また札幌に来てしまうんだよな、とも。
アーチの頂上からの景色、撮影失敗!
さて、シンゴさんのブログには、ブリッジという曲ができたときの日記が残っている。音源化されたのは最近だが、実はブリッジという曲が作られたのは何年も前で、かなり初期の曲なのだ。

そこには、ブリッジという曲は自分のことしか考えてないし、とくにメッセージ性がないから、バンドでやるのはすこし躊躇するという内容が綴られていた。ただ、聴く人がどう思うかは分からないけれど、自分はこの曲を気に入っている、家に帰ろうってなる、という内容も書かれていた。

筆者はこの、「家に帰ろうってなる」というワタナベシンゴの素直な感性がとても好きだ。このブログを読んでから、筆者は帰りたくないときにブリッジを聴くようにしている。

誰にでも帰りたくない夜がある。帰れない夜がある。そんなときでも、「そろそろ帰ろうか」と、手を引っ張ってくれる優しさがブリッジにはある。だからこそ、この日、帰りたくなさそうな顔をしている友人を見て、筆者は幌平橋に連れて行こうと思ったのだ。
アーチの頂点で、ずっと話をしていた。嫌だったこと、悔しかったこと、お互いの夢の話。まだ会うのは3回目とかだったけど、この時間で筆者は友人のことを大好きになった。器用だけど不器用で、必死で純粋な子だなと思った。

だから、「あなたのことを大好きになったから、今日があって良かったよ」と伝えた。そうしたら、「今日一緒にいてくれたのがあなたで良かった」と真剣に言うので、グッときてしまった。
「こんなときにシンゴさんがふっと現れたらな」

そんなことを何度か友人は言っていて、筆者もその言葉に共感した。苦しい夜に路上の弾き語りに出くわしたりなんかして、1曲でも聴けたら、一気に救われるのになと、そんなことをどうしても思ってしまう。でも、本人に会えなくとも、なんとかなることを筆者は確信していた。

なぜなら、ここは札幌だからだ。ブリッジの元になった幌平橋があり、メルの歌詞に出てくる歩道橋があり、札幌の街があり、空があり、風がある。札幌のあらゆる場所や空気には、ボイガルの音楽が沁みついている。

そこで音楽を再生すれば、なんというかもう、本人がいるようなものなのだ。だから筆者は札幌に住んでいる人が心底羨ましい。ボイガルの音楽が強く沁みついている街。こんなに心強い街、他にあるだろうか。目の前にいなくても人を救えるから、音楽は凄いし、素晴らしいのだと思う。
アーチの頂上で話し込んだ後、ブリッジを聴くと、帰ろうっていう気持ちになれるのだと、シンゴさんがブログで書いていたことを友人に伝えた。それを踏まえ、2人でまたブリッジを聴いた。

「ほろほろ涙がこぼれたから帰ろうか いつもの公園横切って空眺めて」

この公園は、さっき通った中島公園のことなのだろうか。そんなことを考えていたら、自分たちが帰る姿をなんとなく想像できるようになった。
「ありがとう、ボイガル。」と書きたくなる空
お腹が空いたから、何か買いに行こうかという話になり、セイコーマートへ向かった。筆者はワタナベシンゴのブログを読み込んでおり、ことあるごとに、ブログにはこう書いてあったなどと解説し始める節がある。

「シンゴさんってね、落ち込んだとき甘いもの食べがちなんだよ。ブログで落ち込み系のこと書いたとき、最後の一行はシュークリーム食べようとか、プリン食べようとかが多いの。」

セイコーマート、退店。2人の手には焼きプリンが握られていた。チョロい。すぐにシンゴさんの真似をするガチファン2人、1周まわってもはや可愛いかもしれない。いや、そんなことはないか(笑)

深夜2時、幌平橋の近くの河川敷で、焼きプリンを食べた。「甘っ」と思わず声が出た。なんだかんだ疲れていたのだろうか、異常に甘く感じた。「沁みる~」とか言いながら2人でプリンを食べ終えたとき、ようやく帰り始める決心がついた。

来た道を30分かけて戻りながら見上げた空は、明るくなり始めていた。北海道グルメを味わうわけでも、札幌の観光地に行くわけでもない、こんな時間の過ごし方が、きっとこれからの糧になる。

翌日、飛行機に乗った友人から「ありがとう」と連絡が来ていた。彼女には彼女の闘いがあり、筆者には筆者の闘いがある。何にせよ、私たちは靴紐を結びなおして歩いていくことしかできない。次に会うのはボイガルのツアーの大阪公演。もうその日が楽しみだ。
音楽が鳴る場所でまた会おう
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。フォローや感想などいただけると、とても嬉しいです。フォローバックします◎

Twitter☞ @pony_enseinote
Instagram☞ pony_enseinote

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です