北海道苫小牧市で開催される、入場無料の音楽フェス“活性の火”2024を見るために遠征した、8/31-9/2にわたる3日間の記録。
《1日目》2024年8月31日土曜日
今年のお盆は南海トラフ地震臨時情報が出され、不安な日々だった。情報が解除されて安堵したのも束の間、大きな台風が日本にやってきた。台風による欠航が心配だったが、当日飛行機は無事飛び、筆者は札幌へ来ることができた。
札幌すすきのの喫茶店で遅めのお昼を食べ、機内で読んでいた本を最後まで読んだ。『52ヘルツのクジラたち』という本。苫小牧の友人が大事にしている作品で、今年の活性の火は、彼女も弾き語りで出演する。その姿を見たかったのもあって、今回の遠征を決めた。だからこそ、事前にこの本を読んでおきたかったのだ。
人によって感想が異なりそうだったので、彼女とこの本について語り合いたいな、と思いながら裏表紙を閉じた。筆者はこの数日後に人生のどん底に陥ってしまうことになるのだが、そのときにこの本から得た発想に随分と助けられた。このタイミングでの読了は、運命だったのかもしれない。
喫茶店の窓から外を見ると、曇り空がいつのまにか晴天に変わっていた。折角だから、サイクリングをしよう。明日と明後日は苫小牧で過ごすから、今のうちに札幌の空気を味わっておきたい。
喫茶店から中島公園まで歩き、中島公園の入口にある駐輪場で、レンタサイクルを借りた。自転車を使うと、中島公園から幌平橋まではすぐだ。
幌平橋駅から横断歩道を渡って橋の方へ行くと、既に自転車が何台かとめられていたので、同じように駐輪した。橋の下から豊平川を見下ろしたり、橋の上から河川敷全体を眺めたりした。ここで“札幌に来たなぁ”という実感が湧く。
橋の頂上で大きく息を吸ってから、階段を降り、再び自転車に跨った。夜には苫小牧に移動しなければならないので、あまり時間がない。前回のサイクリングでは、豊平川沿いを走ってモエレ沼公園まで行った。今回は逆方向に走ってみよう。
マップを開くと、その方向には真駒内公園があるらしかった。全然知らないけど、めちゃくちゃ広そうだ。そこまで行って、帰ってこよう。それくらいの距離であれば、苫小牧行の電車に乗るまでに、用事を済ませるための時間も残せるだろう。
時刻は17時前。夏と秋の間、晴天の空の下を、風を切って走り抜けていく。片耳だけイヤホンをして、ボイガルの曲をひたすら流す。『少年が歌うメロディー』が特に気持ち良かった。
『サマー・オブ・ラブ』や『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』も個人的には同じ部類だと感じているのだが、ボイガルの楽曲の中には、甘い風の吹く曲がある。街中には流れない、河川敷だけに吹く、涙を誘う甘い風。
そういう曲を、河川敷を自転車で走りながら聴くと、物凄い感情になる。そこらのロックバンドにはない、ボイガルらしさの一つが、これだ。
自転車で走りながら見る景色はどれも新鮮だったが、トンボがたくさん飛んでいるのを見たとき、懐かしく嬉しい気持ちになった。
筆者は月1回のペースで多摩川の河川敷に友人と集まり、ギターを弾いている。直近の多摩川でも、同じようにトンボが飛んでいた。
こんなにも離れているけれど、気温も違うけれど、東京も札幌も、同じように夏から秋に移ろっているのだなぁと思った。多摩川のあの子に、この景色を見せたくなった。
どんどん走ると、やがてイオンが見えた。(住めるじゃん)と思って、頬が綻んだ。生活必需品はたいていイオンへ行けば揃うというイメージがある。つまり、知らない土地でも、車を運転できなくても、自分でイオンへ辿り着く術があれば、その土地に住むことが可能なのである。…いや待て、なんだその論(笑)
イオンの角を曲がって、さらに走ると真駒内公園に着いた。あまりにも広いので、(野外フェスとかできそうだな~)と思いながら周りを走っていると、ミスチルの音楽が流れてきた。思わずブレーキを踏む。
グッズの看板が見え、公園内にアリーナがあるのだと分かった。(すげ~!いいな~!ミスチル!)と思いながら眺めていたら、後ろから来た自転車の人も、足を止めて写真を撮っていた。みんなミスチル大好きである。
とにかくデカい公園だということが分かって満足したので、真駒内公園で引き返し、再び幌平橋を目指した。晴天が夕焼けに変わっていく。ナイスタイミングでイヤホンから流れる、『メル』。
そして、幌平橋が見えたとき、(あっ)と思った。幌平橋が青く光っていた。サイクリング出発前に幌平橋にのぼったとき、電飾がついていることには気づいていたのだが、本当に光るとは思っていなかった。幌平橋って、光るんだ…。また一つ、知らなかった札幌の表情を見れた気がした。
幌平橋の横を走り抜け、中島公園に戻り、駐輪場へ自転車を返した。ココノススキノで塩メロンパンを買い、札幌駅まで歩き、コインロッカーから荷物を取り出し、シャワーを浴び…と、苫小牧へ行くまでに済ませるべきタスクをこなしていく。
苫小牧行の電車に乗る前に、札幌駅内のお土産屋さんに駆け込み、レモンメロンを買った。今日は苫小牧の友人宅に泊まるから、お土産はあった方が良いだろう。レモンなのかメロンなのかよく分からないが、新しい体験を一緒にしたかったから、これにした。どんな味がするのだろうか。
《2日目》2024年9月1日日曜日
昨晩は苫小牧の友人宅に泊まらせてもらった。塩メロンパンを食べながら、マシンガントークをしたが、翌日がライブだったので、夜更かししすぎることなく消灯した。朝起きると9月1日、活性の火2日目だ。
ELLCUBEで友人を見送った後、一人で苫小牧中央公園へ歩いて向かった。彼女の出番がわりと早い時間帯だったので、またすぐに戻ってくることになるのだが、メイン広場の様子を見てみたかったし、苫小牧の街をぶらりと歩いてみたかった。
苫小牧は空が広くて、道路が広くて、土地を贅沢に使っている街、というような印象を受けた。釧路に少し似ている気がした。
苫小牧中央公園でステージを軽く見て、出店を周り、北海道の知り合いに会ったので、「今日は晴れてよかったですね。昨年は豪雨だったから。」なんて話をしたりした。そして、シャトルバスのタイミングが合わなかったので、また徒歩で来た道を戻った。
辿り着いたのは、アカシア公園。苫小牧の友人であり、ミュージシャンである彼女が、ここのアカシアステージに立つ。ボイガル日記と題したこの記事の一部ではなく、彼女のライブレポートとして書きたかったから、詳細は別記事に記した。ぜひ読んでみてほしい。
リンク:【活性の火2日目/アカシアSTAGE】とりやべあやかライブレポ
彼女が歌い出すまでは、子の運動会を見守る親のような気持ちもあったが、歌い出せば、彼女は友人ではなくミュージシャンだった。ステージで歌う彼女を初めて見た。堂々とした歌声に、圧倒されてしまった。
自信がないんだと、下手なんだといつも言うから、ふ~んと思っていたが、めちゃくちゃ歌上手いじゃんか。なんなんだよ(笑)
出番が終わり、「緊張した~~!」と笑いながら駆け寄ってきたから、少し会話したような覚えはあるが、物販対応へ向かう彼女の背中を見送った後、筆者はすぐに歩き出した。彼女から離れたかった。一人になりたかった。ものすごいライブを見た後って、本人と話したくなくなる時がある。
例えば、大好きなロックバンドのライブに行って、終演後の物販にアーティスト本人がいても、すさまじいライブを見た後は、本人と話したくなくて、それよりも外で一人になりたい!余韻に浸りたい!となる時がある。逆に、めちゃくちゃテンションが上がって、「すげ~良かったっす!」と全力で本人に伝えたくなるときもある。
なので、ライブの良し悪しという単純な境界線ではないのだが、“一人になりたくなる”というのは、筆者にとって、良いライブを見た後によく起こる現象の一つである。
その現象が、友人に対して起こったことに驚いた。友人なのだけれど、あの時間は確かにミュージシャンだった。そのことが嬉しかったし、ここに至るまでの彼女の努力も透けて見えた気がして、彼女のことをさらに好きになった。「頑張れてるのかな」って、そんな不安を彼女はよく口にするけれど、何言ってんだってかんじ。頑張れてなかったら、あんなライブはできないよ。
彼女のステージを見て、すっかり満足してしまった筆者は、たまにライブを見ることもあったけど、基本的には一人で木陰にいた。
彼女と合流することもできたし、公園内を散歩しているときに、別の木陰に兄者やいももち屋さんがいたのも見えていたし、ステージの方へ行けば、誰かしらの知り合いに会える気もしたけれど、なんとなく一人で居たかったから、一人でいた。誰かに見つかっちゃったときは、一瞬だけ一緒にいたりもしたけれど。
ボイガルの出番が近づいたタイミングで木陰を出て、ステージの方へ向かった。リハから激アツ。本編で『サマー・オブ・ラブ』を持ってきたところ、さすがだなと思った。夏から秋の変わり目、秋晴れの涼しい晴天、風の吹く青空の下でこそ、この曲は最も輝く気がする。
あと、個人的には最後が『ハローグッバイサンキュー』だったのが大好きだった。昨年の活性の火は豪雨で中断になって、そのときの最後の曲だったとか、そういう意味もあるのだろうけれど、筆者にとってこの日は最後の遠征の日だった。転職するから、半年くらいは北海道に来られない。
だからこそ、明るくグッバイをぶち上げてくれるこの曲が最後に鳴り始めたとき、やっぱりボイガルだなと思った。ボイガルは悲しい涙より、涙のあとの笑顔が似合うバンドだ。
活性の火名物の脚立も見れた。ボイガルのライブを見ながら、せっかく青空だから、ボイガルは青空の似合うバンドだから、テントの屋根とか無かったらいいのな~と思っていたので、テントから出て、広場中央の脚立の上でシンゴさんが歌い始めたとき、(うおーーー!これこれ!!!)と思った。そう、あなたには屋根は似合わない。どこまでも行けるような、どこまでも広がっていくような、そんな青空の下がよく似合う。
この視覚情報をキャッチしながら、全身でボイガルの音、シンゴさんの歌をキャッチできる刹那的な時間が、あまりにも最高だった。こういうライブを自分はずっと見たかったんだなと思った。これを求めて、ボイガルの野外ライブにやたらと行っていたのかもしれない。
北海道の野外フェスでボイガルのライブを見たことはあるが、時間帯が夜だったし、本州のいくつかの野外フェスでもボイガルのライブを見たことがあるけれど、本州の空はちょっと狭い。
北海道の広い広い青空の下で、北海道の風に吹かれながら歌うシンゴさんをずっと見てみたかった気がする。その状態で、自分も同じ空の下、同じ風に吹かれながら、ボイガルの生音を体感するというのを、ずっとやりたかったような気がする。その環境と鳴っている音、歌があまりにもぴったりなのだ。こんなバンド、他にいない。
ずっと見てみたかったボイガルを見れたこの日は、筆者にとってかけがえのない日となった。どこでこういうボイガルを見れるんだろうかと探していたけれど、どうやら活性の火だったようだ。気になる人がいたら、ぜひ行ってみてほしい。きっと続いていくイベントだと思うから。
終演後、近くのガストで兄者と2時間ほど喋った。活性の火の間はけっこう一人でいたから、最後にたくさん話せて嬉しかった。筆者は、知り合いはたくさんいても、自分から一人になりたくなるときがある。そのくせに、孤独だな、などと感じてしまうことも多い。だから、なんか助かった。
いろんな話をしたけど、一番面白かったのは、「xのプロフィールに好きなバンド書いてるけど、さよならポエジーのこと、さよならボエジーって書いてましたよ」と筆者が指摘したときの、兄者の反応だった。「え?!?めっちゃ恥ずかしいじゃん!!!!!え?!?!?」とか言っててめちゃくちゃ笑った。この日から彼はボエ兄と呼ばれている。(笑)
帰り際に、イベント関連の用事を済ませたとりやべを拾い、解散。家に着くと、彼女がすぐに寝たので、筆者も早めに眠りについた。
《3日目》2024年9月2日月曜日
朝はゆっくり起きて、10時頃にレモンメロンの解体に励んだ。1玉を半分に切り、その半分を4つに切り分けて、メロンっぽい形にカットする。皮が普通のメロンよりも柔らかい(皮も食べられるらしい)ので、切り分けると、弧がへにゃん、と崩れてしまうのがおもしろかった。キッチンで「へにゃん(笑)」と笑いあう二人の姿は、かなりほのぼのとしていたに違いない。
味は、酸っぱめのメロンだった。糖度を感じるような甘さではなく、ちょっとサッパリしているというか。酸っぱさと甘さの混じり方は、パイナップルに近い気がした。パイナップル味のウリみたいなメロン(笑)「なんだこれ~!でも美味いな!」と言いながら食べた。
身支度を整え、お昼を食べに出かけた。身支度といっても、寝癖を直した程度だ。Tシャツにズボンというラフな格好で、お互いにすっぴん。こういうのができる友達ってすごく好きだ。女の子はすぐに「待って!化粧しなきゃ!」とか「日焼けするから外はいやだ!」とか色々言う。(それも可愛いんだけど、)そういうのを取っ払える、ちょっと少年同士のような女友達ってすごく好きだ。
お昼を食べながら話し込んだ後は、鹿を探しに出かけた。山道をドライブしているときに、道路の脇に鹿が現れたりすることは本州でもあるが、野生の鹿がそのへんを普通に歩いているという景色は、まずお目にかかれない。奈良公園ぐらいのものだ。苫小牧では、野生の鹿が普通に歩いているらしいので、案内してもらった。いつも鹿がいる出現スポットがあるらしい。
コンビニで買ったアイスを食べながら出現スポットに向かうと、本当に鹿がいた。3匹いたので、先頭を歩く2匹、筆者、後ろの1匹という並び順で歩いたりした。鹿さんとお散歩である。ハート型のもふもふとした白いお尻がとても可愛かった。
自転車で走り抜けていく学生たちが、鹿にまったく見向きもしていなかったのも新鮮だった。鹿がいる風景は、なんてことのない日常なのだろう。
友人宅に戻った後は、たくさんお喋りをした。途中で彼女が眠くなって寝たのが面白かった。筆者と彼女は、実はまったく似ていない。ボイガルが好きという共通点から仲良くなっているから、似ている部分もあるのだろうが、だとしても正反対なところが多い。
たとえば、悩んでいることがあるとき、筆者はその解決策が出るまで眠れなくなるタイプだが、彼女は考えているうちに眠くなってきて、何も解決していないまま寝たりするタイプである。
目の前で眠る彼女を見て、彼女は彼女だなぁと思って、微笑ましく思った。数分後に「やだ、寝ちゃった」と言って、目をこすりながら起き上がるところまで、あまりにも彼女だ。
謎に寝起きの彼女と、残っていたレモンメロンの半玉をたいらげると、早いもので、もうお別れの時間だった。彼女が新千歳空港まで行けるバスの時刻を調べてくれたので、帰り支度を整え、リュックを背負って二人でバス停まで歩いた。見送ってくれた彼女に手を振り、バスに乗り込む。
北海道に、次はいつ来られるだろうか。分からないけれど、この数日間の記憶で、しばらくは頑張れる気がする。バスの中では、ずっと『ただの一日』を聴いていた。
あとがき
ここまで読んでくださりありがとうございました。どん底の中でこの記事を書きました。いきなりどうした?というかんじだと思いますが、プライベートで色々とありまして。
心と頭がぐちゃぐちゃになって、涙として溢れ出すばかりで、とても音楽を摂取できるような状態ではなくなったとき、音楽は本当にしんどいときは助けてくれないのだと痛感しました。
でも、音楽は聴けなくても、苫小牧の広い青空を思い出すことはできました。どこにでも行けるかもしれないと思ったあの空と、そこで鳴っていた音の記憶。どこにだって行けるし、どこでだって暮らせるし、どこでだって知り合いは増えていくし。そんな風に思えたことが、筆者にとってとても大きく、なんだってできるような気持ちになりました。音自体だけでなく、そこに付随するいろんな記憶や景色も人を救うのだと知りました。
一番しんどい時期は、越えられたような気がします。あとは自分らしく生きるだけです。頑張らないと生きられないから、頑張ります。
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