CRYAMYの好きな歌詞を5つに絞ったから見て

このバンドと出会ったとき、衝撃的すぎてファン歴2日で記事を書いてしまったが、やっとファン歴3か月ほどになった。ライブも行けてないし、まだまだ浅すぎるのだが、狂おしいほどに好きな歌詞がいくつかあって、また抱えきれなくなってしまったので吐き出させてほしい。

もくじ

1.はじめに
2.好きな歌詞5つ
3.CRYAMYの世界観

□1.はじめに

CRYAMYって非常に言葉で表現しにくいバンドだなと思う。
あえて言葉にするなら、大胆かつ繊細。
激しいノイズや荒れ狂うライブには大胆さを感じるが、その歌詞からは繊細さが読み取れやがて胸が苦しくなる。と、同時に救われる心地もする。かつてファン歴2日で自分が書いた記事を読み返すと、大胆さだけを掬って書き上げたようなかんじがした。

これはリベンジだ。本記事では、狂おしいほどに好きな歌詞を5つに絞って紹介することにする。CRYAMYというバンドを知らないけれど、たまたまこの記事を読んでいるという人がいたら、ぜひこのまま読み進めてほしい。この記事を読み終わった頃には、CRYAMYを聴きたくなっているはずだ。

□2.好きな歌詞5つ

「夜明けで溶けたあの空は飛びたくなるほど青かった」

「世界」という曲の冒頭部分。人生の糧となるような考え方が詰まったような歌詞って、自分にとっての大事な言葉になったりすると思うのだが、この歌詞はそういう類のものではない。格言のようなものではなく、ただの描写。なのに、頭にこびりついて離れなくなるような表現だと思った。というか、現にずっと頭から離れてくれない。

「空が青い」というのは曇天や雨に比べると、明るく前向きな表現だ。「飛ぶ」というのも、上に向かっていく、ポジティブな表現だと思う。でも、何故かビルの屋上から飛び降りる光景を私は思い浮かべてしまう。青い空に吸い寄せられるように飛んでしまった、そんな人を思い浮かべてしまう。

「あなた」に生きていてほしいという願いを込めた曲だと思うが、この曲の歌詞を全て読むと、「あなた」を大事にするわりに、自分のことをほったらかしにしているように感じるのだ。不安定でどこか綺麗なこの歌詞がたまらなく愛おしい。

「あなたもどうせ探せばいるようなどこにでもいるような人さ」

同じく「世界」という曲の中盤に出てくる歌詞。このあと、「それでも生きてて欲しいからあなたは生きていてね」という歌詞が続く。「あなたが大切だから、あなたは生きていてね」と歌う歌詞はたくさんの音楽家が歌ってきたように思うが、「あなたはどこにでもいるような人だけど、生きていてね」と歌う歌詞はあまり見ない。

「どうせ探せばいる」なんて、突き放しているようにも聴こえる言葉だ。でも、実は限りなくあたたかい。自分が頑張っていることや得意なことに対して評価され、必要だと言われたい一方で、何もない自分をそのまま必要だと言われたいという思いも、人は誰しも持っていると思う。「愛されたい」って、そういう感情だ。

その感情に応えられるのは、家族や恋人、親友など、近しい人だけだ。でも、それを音楽でやろうとしているのがこの曲だと思う。音楽は、不特定多数の人に向けて発表されるものだが、このバンドがつくる音楽まるで特定の人に向けているかのような狭さがある。だから信頼できるし、安心するのだ。不特定多数の人に向けて、ひとりひとりに愛を手渡ししている、すごい曲。歌詞が刺さって仕方がない。

「消えるのなら後は追わせてね」

「月面旅行」という曲のラストの歌詞。こうやって文字にすると、なんかこう、メンヘラの彼女が送ってきたLINEみたいに見えなくもないけれど(笑)、この一文にめちゃくちゃ救われている自分がいる。「一緒に生きよう」でも、「一緒に死のう」でもなく、「消えるのなら後は追わせてね」と言えるこのセンス

「一緒に」というのは、それが前向きな行動であれ、後ろ向きな行動であれ、強制力をもってしまう。「一緒に生きよう」と言われても、生きたいと思えない状態だと、「いや、私は生きたくないし。」となる。死もまた然り。でも、この歌詞は「もし~なら、~するね」という仮定の話にとどめていて、あくまでも聴き手に行動権をゆだねている。だから聴き手は無理なく聴ける。

そして、そのまま聴き手を放り出すのではなく、「後は追わせてね」とつづく。でも、自分のためにそんなことを言ってくれる人が一人でもいたら人は消えないことを選ぶと思う。結果的には、「一緒に生きよう」と同義になるのかもしれない。でも、その言い方をしない、この遠回りな歌詞が人を救う

「愛されちゃいたい」と思っちゃって

同じく「月面旅行」の後半の歌詞。『「愛されちゃいたい」と思っちゃって 馬鹿なくせに笑って息してたら良かったのに』というのが一文だが、かなり自虐的だなと思う。

まず違和感がでるのが『「愛され“ちゃいたい”」と思っ“ちゃって”』と、「~しちゃう」という表現がつづくところ。「~してしまう」のくだけた表現だが、これは失敗したときや、したくないのにしてしまうときに使う。つまり、「愛される」ことも「愛されたいと思う」ことも、いけないことだと思いつつ、でもこう思ってしまうといようなニュアンスが含まれている。

でも、「愛される」ことも「愛されたいと思う」ことも、別に悪いこと、いけないことではないはずだ。これをいけないことだと思っているあたりに、自己肯定感の低さがうかがえる。そしてこの低さが、良い。

「自分なんて」とつらそうに笑う顔がなんとなく浮かぶ。なんだろう、この胸をぎゅっと掴まれるかんじ。喉の奥が苦しくなるかんじ。自己肯定感の低い人がつくる、やさしい歌や愛に手を伸ばそうとする歌がたまらなく好きだ。

「でも思っちゃいるんだよ 思っちゃいるんだよ」

「物臭」という曲の終盤に出てくる歌詞。一連の歌詞を引用すると、「深刻な顔をしたあなたが唱えるような理想とか いろいろ守ってやれるなら重い腰だってあげるけど だけどそう言ってやれるほどできた人間じゃないのさ でも思っちゃいるんだよ 思っちゃいるんだよ」。「あなた」の力になってやりたいけど、それができない。でもなってやりたいと思ってはいる。

この感覚、とっても分かる。不器用な人ほど理解できる気がするのだが、やってあげたいと思って、やったけれども、結局役に立てなかったみたいな経験が積み重なると、腰をあげるのが億劫になってくる。実際、不器用で下手くそだからそうなっただけなんだけど、どんどん気のきかない奴になっていって、みんなが助け合ってるのを見て、「自分も助けたいとは思ってたのにな」って思ってるだけみたいな、そんなふうになる。

行動に移すところまでは至らないけど、思ってはいるから、優しさや愛の行き場がなくて心の中でくすぶるような、そんな歯がゆいかんじ。これは全て筆者自身の話なので、曲と全然関係ないかもしれないが、この歌詞はそういうニュアンスなんじゃないかなと勝手に思っている。機会があれば、あなたの解釈も聞いてみたい。

□3.CRYAMYの世界観

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。CRYAMYの世界観は、良い意味で、とても狭いなと思っています。

本文には載せませんでしたが、「ディスタンス」という曲の、「乾いた部屋の狭いベッドが小さな私の世界だった」という歌詞も大好きです。寂しいほどに狭い、この空気感がどの曲でも感じられるように思います。

だからこそ、大衆向けではなく、自分たちひとりひとりに歌ってくれているような感覚になります。そして、歌詞にでてくるあたたかい言葉は、どれも家族や恋人、親友に向けるようなレベルの、親密な言葉だなと思います。本当の言葉で紡がれる歌詞は、信頼できますね。詩集とか、欲しいな。

今回紹介した歌詞の曲は、全てYouTubeにありますので聴きに行ってください。サブスクはないので気になった方はCDを。あ!11月11日に新しいCDが出ます!!!楽しみ!!!!!
〇CRYAMY好き同士良かったらつながりましょう♪

Twitter☞ @pony_enseinote
Instagram☞ pony_enseinote