【ボイガル日記】二子玉川へ行って二子玉川ゴーイングアンダーグラウンドを聴いた話

THE BOYS&GIRLS(通称ボイガル)の『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』という曲が好きなので、二子玉川に行って聴いてみました。ただのファンによる、ただの一日の日記です。暇つぶしにどうぞ。

そうだ、二子玉に行こう

THE BOYS&GIRLSは札幌を活動拠点とするバンドで、楽曲には北海道の空気感がぎゅっと詰まっている。筆者は東京在住で、北海道は遠く離れた土地だ。雪は積もらないし、雪虫もボイガルの曲で知った。

雪道を歩きながら『パレードは続く』を歌いたいとか、『すべてはここから』のMVみたいに札幌の街を自転車で駆け抜けてみたいとか、『階段に座って』の新川通りってどんな場所だろうとか、北海道への憧れがどんどん募っていく自分がいる。“札幌の行きたい場所リスト”を作るくらいには、募りまくっている。

でも、やっぱり北海道は遠くて、頻繁に行ける場所ではない。東京でボイガルの曲を体感しながら味わう方法はないものかと考えた結果、ぴったりの曲があった。『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』。二子玉川は東京の地名である。二子玉川なら電車に乗って1時間ほどで行ける。

一人で川に行って音楽を聴くという、傍から見れば孤独なかんじのする休日の過ごし方になるが、友達と遊ぶというテンションでもなかったし、他にやりたいことも特になかったので、行ってみることにした。気軽に二子玉川に行けるのは、東京に住んでいるからこその特権である。これは行使するほかない。

わざわざ書くほどのことでもないのだが、筆者にとっては大切にしたい体験になったし、ボイガルを好きな人が読んだらもしかしたら面白いかもしれないし、残せるものは残してく精神で、とりあえず文字にする。

二子玉に来た

筆者は東京在住だが、まだ転居して2年も経っておらず、実は東京のことをよく知らない。曲名から“二子玉川”という川があるのだと思っていたのだが、行く前に調べると、そんな川は実在しなかった。二子玉川駅はあるが、その近くに流れているのは多摩川である。二子玉川というのは川の名前ではなく、地名なようだ。

『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』の歌詞にも、「多摩川」という単語が複数回出てきていて、二子玉川と多摩川とどっちの川のことを歌っているんだろうと疑問に思っていたが、解決した。二子玉川という土地に流れる多摩川のことを歌っていたのだ。スッキリ。

そんなわけで、筆者はとりあえず二子玉川駅に向かうことにした。この駅に行けば、多摩川にも歩いて行けそうだった。
二子玉川駅に着き、改札を出ると、たくさんの車が行き交う道路に出た。人も車も多い、東京のこういうところが好きになれない、などと思いながらも歩くと、すぐに川が見えた。河川敷に降りたかったが、どこから降りられるのかが分からず、人の流れに沿って歩いていたら川を渡る羽目になった。なぜ向こう岸に行こうとしているのだろうか。別にこちら岸(?)で良いんだけどな。
下に川が見えるが、降り方が分からない
そんなこんなで向こう岸に着くと、そこは野球場になっていた。野球場といっても、グラウンドというかんじではなくて、芝生広場みたいなかんじ。少年たちが野球をしていて、ちょっとテンションが上がった。だってほら、ボイガルの『陽炎』のMVみたいじゃん!好きな音楽に関連しているものが目に入ると、ちょっとしたことでも楽しくなれるのが筆者の特技である。
未来のメジャーリーガーたち
だが、今回の目的は野球場ではない。多摩川だ。野球場を通り過ぎて、とにかく川へ向かった。枯れているのに生い茂っている謎の草を掻き分けて、川がちゃんと見える場所までずんずんと歩いて行った。野球少年からすれば、不思議な光景だっただろう。大人が一人で草を掻き分けて川に向かっていたら普通に怖い。

しかし、そんなことはお構いなしである。川が見えなければ意味がない。草を掻き分けて辿り着いた場所には大きな岩があって、それを椅子がわりにした。羽虫がめちゃくちゃ飛んでいたが、すべて雪虫だと思うことにした。絶対に違う。
少年少女のケモノ道

昼の多摩川

時刻は昼の12時。1月だが、快晴だったので春のような陽気さがあった。北海道など雪の降る地域では、冬場は雪雲に覆われて、太陽があまり顔を出さない印象がある。だが、東京はいつだって晴れればポカポカである。これは東京の良いところだ。そこだけはちょっと好き。
岩に座って多摩川を望む
早速『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』を聴きたいところだったが、12時から友人と電話をする約束をしていた。海外に引っ越した友人で、時差があるので彼女の方では仕事終わりの時間帯らしい。

言葉や文化の壁がある環境で暮らす彼女を尊敬しているが、気苦労も多いだろうから、楽しい話をたくさんしたいと思った。その結果、めちゃくちゃボイガルの話をしてしまった。全然ボイガル知らない子なのに。やっぱり多摩川を眺めながら電話していたからなのだろうか。二子玉川の魔力である。怖い。

彼女は、海外の食べ物は口に合わないが、自分で料理をして試行錯誤しているという話をしてくれた。筆者は包丁を使うのが面倒くさいので、野菜は手でちぎれる水菜かニラしか使わないという話をした。「白菜も手でちぎれるんじゃない?」と彼女に提案されたが、「白菜は芯の部分が難しい。縦の繊維が強い。」と熱弁すると、めちゃくちゃ笑ってくれた。なんだかすごく嬉しかった。

結局2時間ぐらい喋った。一人で川に行ったが、一人で行ったかんじがあまりしなかったのは、彼女のおかげだろう。
電話を切るともう14時になっていた。昼・夕・夜のすべての時間帯の景色を見ながら『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』を聴くという目標を立てていたから、夕方になる前に!と急いで曲を聴いた。イヤホンではなく、スマホから直接流して聴いた。そうすることで、川の流れる音や鳥の鳴く声をシャットアウトせずに、一緒に耳に入れられる。

曲を流しながら、ぼーっと向こう岸を眺めていた。「その向こうへ僕を連れてってよ」という歌詞は、川の向こう岸のことを指すのだろうか、と考えたりもした。

海や湖は大きすぎて、向こう岸が見えないし、見えないからこそ、行き方というか、過程も具体的に想像しにくい。でも、川は向こう岸が見える。小さな船を渡して地道に漕げば着きそうだという具体的な想像もできるし、見えるからこそ、大きくジャンプすれば辿り着けるんじゃないかという無茶な勇気さえ湧く。

シンゴさんもそんなことを考えながら曲を書いたんだろうかと想像したりした。合っていても違っていても、こうやって現地へ行って、想像するのが楽しい。
それから、多摩川でやりたいことが実はもうひとつあった。それは、GOING UNDER GROUNDというバンドの曲を聴くこと。シンゴさんがブログで二子玉川に行った日のことを書いていて、そこにはこのバンドに力をもらったと書いてあった。曲名の「ゴーイングアンダーグラウンド」の部分は、おそらくこのバンドのことなのだろう。筆者にとっては知らないバンドだったが、多摩川でぜひ聴いてみたいと思っていた。

トワイライトという曲と、東京という曲がすごく良かった。包み込むような心地よさがあって、淋しさとか力強さとか、いろんな感情が詰まっていて、自分の精神状況によって聴こえ方が変わりそうな音楽だなと思った。

筆者は淋しさの部分を強く感じたから、黄昏れながら聴いたが、シンゴさんは「力をもらった」と書いていたから、力強さの部分を強く感じたのかもしれない。わからないけれど。でも、いい。想像するのが楽しい。
昼の多摩川で嬉しい出来事が2つ起こった。

ひとつめは、ボラが飛び跳ねたこと。『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』には「夜を渡る ボラが一匹飛び跳ねる」という歌詞がある。川からボチャッ!という音がしたときに反射で目を向けたが、一瞬すぎて何が飛び跳ねたのかよく分からなかった。でも魚なのは確かだ。魚ということは、ボラだ。知らんけど。いや、ボラでしょ。ボラに決まっている。脳内で半ば強引に(さっきのはボラだな)ということにして、歌詞どおりの出来事が起こった!とはしゃいだ。

ふたつめは、船に乗ったおじさんが流れてきたこと。いや、おじさんが乗った船か。『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』には「ゴーイングが流れてた」という歌詞がある。これはGOING UNDER GROUNDというバンドの曲が流れていたという意味の歌詞だと思うが、シンゴさんのブログを読むまでは、筆者はこのバンドを知らなかったから、ゴーイング号という船が流れていたのかなと思っていた。

川を眺めているときに、突然小さな船が流れてきたとき、(うわ!ゴーイング号が来た!!!)と思った。しかも一人のおじさんが立って乗っていて、おじさんがオールを漕ぐことでその船は進んでいた。立って流れていくおじさんと、それを眺める一人の筆者。流れる沈黙。実にシュールな体験だった。あれはゴーイング号だ。間違いなく。

そんな馬鹿なことを考えていたらトイレに行きたくなったので、一旦退散することにした。

夕方から夜にかけての多摩川

トイレにも行きたかったし、スマホの充電もしたかったので、コンセントのある場所を探して、ファストフード店に入った。実は昼ご飯を食べていなかったので、遅めの昼ご飯だ。夕方の多摩川を見逃すわけにはいかなかったので、店内の窓から、空の色をこまめにチェックした。

結局、充電は60%くらいまでしかできなかったが、陽が落ち始めてきたので食事を済ませて退店。再び多摩川へ向かった。道路から河川敷へ降りる道を見つけられたので、今度は向こう岸まで渡らず、二子玉川駅側の岸へ降りた。マダムが目の前の羽虫たちを手で払いのけながら歩いていて面白かった。二子玉川はなぜこんなにも羽虫が多いのだろうか(笑)

夕日がめちゃくちゃ綺麗で、スゲー!となって写真を撮った。人がまばらにいた。
走り出したくなる夕日
これはこれで綺麗な景色だったが、筆者にとっての今回のメインは、夕日ではなく多摩川。つまり、これでは遠い。

そんなわけで、また草を掻き分けることになった。掻き分けてまで川のすぐ近くに行こうとする人間は筆者しかいなかったが、もはや何も気にならなかった。シンゴさんはどこから多摩川を見たのだろうか。こんなに草を掻き分けてはいないと思うんだけど(笑)
掻き分けた先で振り返ったら草がヤバかった
周りに誰もいなかったので、またもやイヤホンではなく、スマホから直接曲を流して聴いた。人が居なさ過ぎたので、ちょっと歌ったりもした。ボイガルの曲を聴いたり、ゴーイングの曲を聴いたりして、陽が落ちていくのをずっと眺めていた。

空の色が水色から黄色になって、オレンジになって、そのオレンジがどんどん濃くなって、そのまま沈んでいって、電車の窓がやけに光って見えるなと思ったら、辺りが暗くなっていて。空の色が移り変わっていくのが綺麗だった。
陽が落ちていく川沿い
この一日で『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』は何度も聴いたが、陽が落ちきる前に、改めて歌詞カードを読みながら聴いてみようと思った。何か聴こえ方が変わるかもしれない。
歌詞カードをしっかりと持参
歌詞カード、一行目。「夜を渡る ボラが一匹飛び跳ねる」。これは実際に見れて嬉しかったなと振り返った。二行目、「自転車に乗った家族が街へ行く」。こんな光景も確かにあった。日曜日だったし、のんびりと遊びに来ている家族がわりといた。実際に行ってみて、この冒頭2行の歌詞は、二子玉川の雰囲気をそのまま映しているような気がした。

3~4行目。「夜を越える その時には見えるかな 明日晴れたらもう一度行こうかな」。“何が”見えるのか、が具体的に明記されていない歌詞だということに気がついた。でも、「晴れたらもう一度行こうかな」という歌詞から推察するに、シンゴさんは晴れていない日に行ったから見えなかったものなんだろうなと思った。晴れていない日には見えなくて、晴れている日には見えるもの。(あ、星のことかもしれない)と思った。思わずそのまま空を見上げた。

そうしたら、星が見えた。そうだ、今日は晴れたから。なんだかとても嬉しい気持ちになった。この歌詞は星のことを言っていないかもしれないし、どちらかというと希望の比喩表現な気がするのだが、このとき確かに筆者は星かもしれないと思って、見上げた空に星があったことが、とても嬉しかった。
星、写真にはうつらないかも
空気が冷えてきたので、切り上げて、駅に戻った。夜の二子玉川駅は人に溢れていて、すぐにぶつかりそうになる。多摩川は最高だったけど、やっぱり東京のこういう人が多いかんじは好きになれないなと思った。

ふと「東京も悪くないなと思うとキャリーバッグが軽くなったんだ」という歌詞が浮かんで、思わず微笑んでしまった。私はまだシンゴさんのようには思えないみたいだ。

おわりに

音楽に記憶をくっつけるのが好きだ。だからライブが好き。歌い方、言葉、表情、ステージで起こった出来事、フロアの様子、いろんな記憶がそれぞれの曲にくっついてくれるから、何度だってライブに行きたい。

でも、記憶をくっつける方法はライブだけではない。川に行くだけで、一曲がこんなにも大切になる。特にボイガルの曲は外で聴くと特別になる気がする。シンゴさんの視点からみた景色や感じた温度や空気がぎゅっと詰まっているからだろうか。追体験のできる音楽だと思う。

北海道に数回しか行ったことのない筆者が、ボイガルを聴くようになってからこんなにも北海道に憧れるようになったのは、ボイガルの音楽に北海道の空気が詰まっていて、それを聴いてとても素敵だと思ったからだ。もともと北海道に住んでいて、今は本州にいる人が、ボイガルを聴くと懐かしい気持ちになると言うのも、ボイガルの音楽に北海道の空気が詰まっているからなのだろう。

『二子玉川ゴーイングアンダーグラウンド』は東京の地名が入った曲だが、この曲に関しては二子玉川の空気感が詰まっていると、今回行ってみて思った。北海道に限らず、何かしらの感情を抱いた土地に関しては、その場所の空気感を詰めた音楽を作れるということ。やばい才能である。

筆者はライブきっかけでボイガルにハマった。もっと言えば、ワタナベシンゴのフロントマン力に魅せられた。熱量とか瑞々しさとか言葉のセンスとかそういうところ。でも、それはパッと見でも分かる部分であって、ボイガルはもっと奥が深いと最近は思い始めている。ワタナベシンゴの感性がとっても素敵だ。そして、それを楽曲に落とし込むときの純度がすごい。繊細な感性で味わった外の空気を、純度高く曲に落とし込めるから、リスナーは追体験ができるんだと思う。

そもそも筆者は追体験をするのが好きだ。音楽家のブログはめっちゃ読むし、聖地巡礼とかめっちゃするし、ライブもめっちゃ行くし、何かと体験したがるところがある。そういう筆者の性質とボイガルの音楽がぴったり合ったのだと思うが、それにしても、こんなにも追体験ができる音楽はボイガルが初めてだ。なんて楽しいんだろう。

ライブがあれば最高だが、ライブがない日はない日で、どこか外に出かければいい。そこでボイガルを聴いたら、もうそれだけで楽しいのだ。音楽の好みは人によって違うとよく分かっているが、なんか、みんな聴けばいいのにな~と思ってしまう。こんなに素敵な音楽が、今鳴ってる。

終わり方が分からなくなったので、写真でも載せておく。
その先で春が待ってる
日記みたいな記事を初めて書きました。今後はこういう記事も書いていこうかな。感想をいただけると嬉しいです。フォローも大歓迎!
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